| 高山寺跡をたずねて 弘浪山 |
| 兵庫 丹波 氷上町 |
| 氷上町新郷付近から |
| 氷上盆地を取りまく山々に弘浪山がある。南北に流れる加古川の西に位置し、特徴的な姿は何となく惹き つけるものがある。 中腹には高山寺跡があり、その参道を登ることにする。 |
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| 稲継信号を西進、稲継西信号を左折、ゆめタウン前を北進し、桜公園で左折、加古川を渡って県道109号 に突き当たると左折、約100m左にシキミ屋さんがある。登山道はその向かいの猪柵がしまっている所なの だが、車を停めるところがない。下山は柿柴側にするつもりだったので、車を下山地のお墓に停め、シキミ屋 さんまで歩くことにする。 このところ朝方冷え込み、今日も車を降りて歩き始めたものの、風が強く体感温度はかなり低い。帽子を深 くかぶりマフラーで口を覆うが容赦なく寒風が頬を叩く。変な格好だが寒いので格好など気にしていられない。 柿柴から上成松、黒田へと山裾を歩き、少しだけ車道脇の歩道を通り、猪柵を開けて山道に入る。初めはフ ェンスに沿った水平の林道だが、ほんの数分で左へ鋭角に曲がった道がありそこへ入る。すぐに尾根のつづ ら折れの道となる。直登すると急だが、ジグザグと登っていくのでそれほど急ではない。高度を上げていくと葉 の落ちた木々の間から山々が見えてきた。高見城山、金山、譲葉山。陽がさして明るく快適な道だ。 中学時代に遠足で高山寺跡に登った。登りは全く記憶がないが、下山は黒田だったのでこの道を下ったに 違いない。雑木の明るい道を歓声をあげながら下ったことだけを覚えている。 |
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| 日陰には雪が薄く残っている。気温が低いのでなかなか溶けない。 猪柵から40分程で新郷からの尾根に出る。風がまともに当たる。下から雪が舞い上がってきた。南に石 金山、すぐ正面に白山のこぶが特徴的だ。弘浪山には大雨が降ったときだけできる幻の滝があるが、その 垂直の岩肌も正面に見える。「絶景やなぁ。」 尾根は岩が多く、黒田庄の白山秋谷登山道の岩尾根に少し似ている。大きな岩の上に出ると、加古川を 隔てて分水界の山々や向山連山が連なっている。雪もよいで霞んでいるのが残念だ。南に目をやると、先 週登った尖った猿藪、丸い高山が黒い陰となっている。 お日さまもいつのまにか雲の中。風がますます冷たい。 |
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| 尾根の傾斜が緩くなると少し小広い所があり、そこから道は山腹を巻いて水平に近くなる。尾根は徐々に 上になり、道を誤ったような感さえする。しかし、尾根への道は確かになかった。しばらく歩くと植林の平坦地 に出る。見覚えのある所だ。 「高山寺跡や!」 |
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石垣、水路などが目の前にある。奥の方に進むと、大きな銀杏の木がそびえている。里の人たちは、この銀 杏の葉が色づくと麦を蒔いたという。 数年前の10月に訪ねたときは葉を付けていたので一番上まで見えず、どれほどの高さがあるかわからなか ったが、葉を落とした銀杏はかなりの高さだった。高山寺は昭和33年までここにあったのだが、この銀杏は寺 跡を守るかのように今も静かに生きている。今は杉が大きくなり、うっそうとして暗いが、中学生の頃は明るか ったなぁ。杉に押されて銀杏が枯れてしまわないか案じられる。歴代ご住職のお墓に手を合わせ、寺跡を後に する。高山寺跡は標高約400mなので、520mの弘浪山頂へはまだ登らなければならない。 |
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| 尾根の途中から新郷側の谷から犬の吼える声が聞こえ、それが段々近づいてくるように思える。猟犬かもし れない。途中から無線機をAMラジオにし、ときどき声をあげながら警戒する。 植林の中をよじ登ると見覚えのある鎖を張り巡らした尾根に出る。南にしばらく歩き、いったん下って登り返 すと「弘浪山520m」の標識が枝に掛かっている。西に篠が峰が大きく迫る。その左に白い千ヶ峰。一番近い 東峰山はちょっと尖っている。 眼下には左に氷上カントリー、弘浪山から西に延びる尾根を隔てて右に関西記念墓園。三角点はここから 少し離れた尾根の南東端にあるので、そこまで行ってみる。展望は南に白山。さきほどの標識の所へ戻って お昼にする。ラーメンを作りながら伝言板を見るとみーとさんが千ヶ峰にいるらしい。あちらは吹雪とのことだ ががいるところも寒い。手袋を着けていないと指がかじかみ感覚がなくなる。ラーメンで温まり、早々に荷物 をまとめる。 |
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| 鎖に沿って北へ歩き、尾根が西へ方向を変えるところから東へ下りる。道はないので、斜面を適当に下っ ていくと、柿柴への下山口となる鞍部へ降り立つ。ここからは割合広い旧参道をジグザグと下りていく。倒 木が道をふさいでいるところもあるが、リヤカーでも通れそうなくらいの広い道である。昭和33年にお寺が 移築されてからはこの道を歩く人もなくなっただろうが、30年やそこらでなくなってしまう道ではない。 昨年、丹波新聞に高山寺の上井寛園老師が手記を連載をされていた。毎週、読むのを楽しみにしていた がその中には、高山寺での生活も書かれていた。いったい何度この道を行き来されたことだろう。 |
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| 谷に下りると小さな流れに沿った道になる。10月に歩いたときには笹や草に覆われてダニの攻撃をうけた 所だ。倒木をまたいだり、雪が積もった石で滑らないようにしながら注意深く下りる。 水の音が大きくなってくると歩きやすくなり、道の真ん中にコンクリートが現れる。村へ水を引いた水道跡だ。 ほんの数分で石碑のある参道入り口。お墓に置いた車が見えてきた。 |
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| お墓から北にまっすぐ下りると、道路脇に「高山寺」と書かれた石碑が建っている。明治に参道改修の記念 に建立されたらしい。現在は安全山の麓、常楽の地に移築されているが、往時は参拝者がこの石碑を見なが ら高山寺をめざしたに違いない。 |
| 行った日 | 03 1/25(日) |
| 行った人 | たぬき二人 |
| 山行タイム | 新郷登山口9:35〜高山寺跡10:35ー10:45〜山頂11:10ー 11:50〜柿柴12:40 |
| 2.5万図 | 柏原、黒井 |
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